うさぎの耳はあきの日の。






  本当にね、うちには個性豊かな従業員が揃っているなと感心します。

 今年の夏はやたら滅多ら暑かった。
 真夏日が続き、水不足から節水を余儀なくされた。真昼間の江戸の町は蒸
風呂状態で、道行く野良猫も僅かな涼を求めて路地裏に引っ込んで寝そべっ
ている有様でした。
 それでうちの従業員――眼鏡の方の話なんですけど、そんな猛暑の日に瀕
死の兎を発見したらしい。往来に四肢を投げ出し、ぐったりと横たわる兎は触
れてみてもビクともしない。こりゃ大変だってんで連れ帰って、手ずから水を飲
ませて、献身的にお世話したそうだ。お人好しというか、まああいつらしいという
か。
 その甲斐あって二日もすると兎はすっかり回復したらしい。キャベツをやろう
とすると、足元をぐるぐる走って回るなど元気な姿を見せた。人懐こい兎だった
んですと新八は少し沈んだ声で言った。翌日、万事屋からの帰りにキャベツを
一玉購入してから帰宅すると、兎は忽然と消えていたらしい。
「でもあの兎はきっと、うちに帰ったんですよね。人馴れしてたから誰かの飼い
兎だったんですよね。うん。うちに帰ったんだ」
 新八は自分に言い聞かせるように、うん、うんと何度も頷いた。まるごと買っ
たキャベツは焼きそばと野菜炒めに化けて、万事屋の食卓にのぼった。猛暑
だから結構キャベツ高かったのになあと呟くので、兎が食っても人間が食って
も同じだろうと言うと、あんたたちは満腹になれば何でもいいでしょうと、俺と神
楽を見ながら失礼千万なことを述べた。しかしそれきり兎の話題を口にするこ
とはなかった。
 
 そしてやっと日差しがやさしくなってきた今日のことだ。
「ちょっと引っ張らないで下さいってば」
 新八が両耳を押さえて抗議する。
「痛いのか」
「そりゃあ引っ張られれば痛いですよ。決まってるでしょう」
「そうか。わるいな」
 俺は仕方なくその耳から手を離した。
 ――耳と言っても人間の耳に非ず。
 新八の頭から、兎の耳が生えている。昨日はなかったのに、今日は生えてい
る。
 今朝少し遅くなると連絡してきた新八は、昼過ぎになって出勤してきた。神楽
は遊びに出掛けて不在である。
 秋だと言っても昼間はまだ夏の名残をとどめている。なのに新八は毛糸の帽
子を目深に被って現れた。不審極まりない。部屋にあがっても中々とろうとしな
いので、半ば無理矢理脱がせた。
 そうしたらそれが姿を現した訳です。何って兎の耳。
「新八くん、ひとつ質問していいかな?」
 俺は恐る恐る質問した。
「いいですよ。どうぞ」
 新八が行儀よろしく正座をするので、俺もつられて正座をした。向かい合って
座り、まんじりと新八をながめると、やはりその頭からは、にょっきりと兎の耳
が生えている。よくよく見ていると、時おり何かに反応するようにぴくぴくと動い
ている。
「じゃあ遠慮なく聞くけどな」
 俺は決心して、ゴホンと咳払いをした。緊張が走る。
「その耳はアレだよね」
「アレですね」
 単刀直入に兎の耳というのは何となく憚られ、俺は遠巻きに指摘することに
した。新八は神妙に頷いた。
「やっぱりアレなんだ」
「アレです」
「ソレってほんとにアレ?」
「コレはほんとにアレです」
「アレなのか」
「アレなんです」
 しばらくアレソレと不毛な問答を続けたが、その無意味さに馬鹿らしくなった。
しばらく無言で見つめあった後、急に笑いが込み上げてきた。どちらからともな
くあははと笑い出す。
 だって耳。
 新八の頭にピンと凛々しく兎の耳が立っている。どこから見ても立派な兎の
耳。白い兎。見事な毛並みをしており、艶やかに光っておる。ってそんなことは
重要な問題じゃない。
「元の耳はあるのか?」
 何から突っ込めばいいのか分からないが、手始めに素朴な疑問から攻め
た。
「それなら、ちゃんとありますよ」
 新八が「ほらね」と髪の毛を掻きあげると人間の耳がのぞいた。
「そうか」
 俺はとりあえず安堵のため息を吐いた。すると、それに反応するように兎の
耳の方がぴくりと動いた。
「その耳は耳としての機能を果してるのか?」
「その耳ってどっちの?」
「あー、何だ、兎の方」
「ああ。ちゃんと聞こえますよ。自前の耳もそのまま使えてるんでよーく聞こえま
すよー」
 そう言いながら新八はそっと目を閉じた。
「うん。よく聞こえます」
 ぴくぴくと兎の耳が動いた。それは紛れもなく新八の体の一部になりつつあっ
た。

 新八曰く、助けた兎の恩返しだろうと。
 でも感謝の気持ちを表そうと兎耳を与えるってどうよ。古今東西恩返しと言え
ば着物を頂いたり、美人に接待されたりと物質的に満たされるモンじゃない
の。
「頭いてえ。俺ちょっと出掛けてくる」
 とりあえず一杯引っ掛けて冷静になろうと、よろよろ立ち上がる。
「はあい、いってらっしゃい」
 新八は手鏡でしげしげと自分の姿を見ていた。物珍しそうに自分の耳を引っ
張ったり撫でたりとすこぶる楽しそうにしている。俺には目もくれずずっと自分
のお耳で遊んでいる。

「やあでもホントさあ新八くんも逞しくなったもんだ」
 金も無いので結局真下のスナックにお世話になっている。ツケって便利なシ
ステムです。
 そんなことより新八の身に起きた怪現象について、である。いや本当に恐ろ
しいのは、突然兎の耳が生えたのに平然としている新八の方かもしれない。最
近の子って順応力高いねえって妙におっさん臭い気分になってしまいます。
 酒を呷るとカウンターに頬杖をついた。
「絡み酒なら他でやっておくれよ」
 登勢が煙草を吹かしながら眉根を寄せる。
「うっせーぞ。ババア。最近の子とのギャップに苦しんでるっつーのによオ」
「わたしから言わせりゃアンタもまだまだガキだけどね」
「ババアと比べるなっつーの」
 悪態をつくが登勢はふふんと鼻で笑うだけだ。
「これ飲んだら帰りな」
 登勢はカウンター越しに空になったグラスを取って酒を注いだ。憮然とそれを
受け取ると、ぐいっと一気に呷る。
 たったの一時間ばかりで店を追い出され、仕方なく万事屋の階段を駆け上が
る。一段一段のそのそと上り、玄関のノブに手を掛けようとした瞬間だった。タ
イミング良く扉が開いた。
「おかえりなさーい」
 新八が笑って出迎えた。
「なんだなんだ」
 俺は面食らった。新八は悪戯っぽい笑みを浮かべ得意げである。兎の耳が
存在を主張するようにぴくぴくと動いた。
「耳ですよ。これのお陰で銀さんの足音が聞こえました」
 そう言うと新八は「おかえりなさい」ともう一度言った。
「おう。ただいま。兎少年」
 言って、新八の頭を乱暴に撫でつけた。ついでに兎の耳も引っ張った。
「ちょっと、止めて下さいよお」
 新八は俺の手を掴んで、耳から離そうとする。しかし、その顔は笑っている。
俺は無性にたまらない気分になった。新八や神楽といるとたまにそういう気持
ちになる。
「どうしたんですか」
「何でもね」
「変な銀さん」
 新八は少し怪訝そうな表情を浮かべ首を傾げたが、次の瞬間「あっ」と声を
上げた。兎の耳がピンと真っ直ぐに立つ。
「神楽ちゃんだ」
「え」
 俺は外を振り返った。
「銀さん、神楽ちゃん帰ってきましたよ」
 新八は俺の着物の袖を取ると、玄関先から外へ出た。二階の鉄柵に手を掛
けて往来を見下ろす。
「あっちだ。あっちですよ」
 耳をそばだてて、通りの向うを指差す。俺はその指先を見た。神楽の姿は見
えなかった。
 新八は耳をすませて神楽の足音を聞き分けている。
「神楽ちゃんの足音って何かせっかちだなあ。あっ、誰かに喧嘩吹っ掛けて
る。……沖田さんだ。もう仕方ないなあ。そこまで帰ってきてるのに」
 もれるため息とは裏腹に新八は楽しそうだ。耳をすませて神楽の帰りを待っ
ている。
「何かこの耳便利ですねえ。銀さんや神楽ちゃんがどこをほっつき歩いてても
足音聞こえますもん」
 しばらくして新八が指した方から神楽が帰ってきた。新八はやはり真っ先に
見つけて「おかえり」と手を振った。神楽はそれに気付いてこちらを見上げた。
 俺は馬鹿みたいに突っ立って、ただただ呆けた顔してその様子を眺めてい
た。
 心地よい風が吹きぬけた。
 空は暮れなずんでいる。いつの間にか日が落ちるのが早くなっていた。
 神楽が驚いたのは一瞬だけで、新八の兎耳にすぐに馴染んだ。やっぱり神
楽も今時の子なんだとしみじみ思った。
 俺なんかさあ。
 新八がやってきて、神楽がやってきて、あれよあれよと言ううちに万事屋は賑
やかになった。家に帰ると誰かがいること。夜中にトイレに立つと押入れから
規則正しい寝息が聞こえること。そういう色んなことに戸惑いながらようやっと
なれてきたというのに。
 適応能力が高いんだなア。
 一緒にいるのが当たり前みたいな顔をしている。あいつらは、最初からそう
だった。
 失うことを考えないのか。失っても傷が癒えるのは早いから大丈夫なのか。
 あの日、兎が消えた部屋でお前はどんな気持ちだった?
 兎の耳で遊んでいる二人を横目に、台所へ立った。今夜の食事当番は俺な
のである。
 俺は、お前らといると楽しいみたいなんだ。


 夕食を食べているさい、ずっとそのままだったらどうするつもりだと兎の耳に
ついて質問すると、新八は構わないとあっさり言い放った。
 一生このままでも構わない、わかめしか入っていないさみしい味噌汁を啜り
ながら何でもない顔で言った。まあお前が構わないならいいけど、俺もまた味
噌汁を啜りながら答えた。
 しかし、兎の耳は翌日にはきれいさっぱり新八の頭から消えていた。新八と
神楽は至極不満そうだ。俺はというと胸を撫で下ろしている。







20070920
うさぎんしん祭りに寄稿したものをちょっと改訂
20080127







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