雨のつぶて






 雨が降るかもとは思っていた。
 暇を持て余し、パチンコにでも出掛けようかと外へ繰り出したのが昼下がり。
出掛け際、新八が「夕方から雨ですよ」と傘を差し出した。しかし、受け取らな
かった。反抗期のお年頃です。
「めんどくせぇ。いらねーよ」
 ぞんざいに言うと新八は、
「濡れてもしりませんよ」
 腰に手を当てて、わざとらしく溜息を吐いた。
 そんな若い身空で所帯染みちゃって、まあ!
「水もしたたる何とやらだ」
 呆れ顔の新八を残し、ぶらりと街に出る。
 空を見上げると、東の方に鼠色の雲が迫っていた。
(何となく髪の毛が広がっている気がするな。オイ)
 天パが雨が降るぞを教えている。
「まあいいか。降ったら降っただろ」
 銀時は大きな伸びをして、パチンコ屋に向かった。店内は客でいっぱいだっ
た。みんな、どこか苛々した気配を放ちながら、黙々とパチンコ台に向かって
いる。たまに喧嘩腰の独り言を呟いていたり、店員に絡んでいたりもするが、
基本的に各々独りきりの世界だ。
 銀時もそれに習い、適当な台を見つけて座った。

 耳をつんざく程の騒音も、猥雑な雰囲気も、目に沁みる程の煙草の煙や臭い
ですら、銀時はそれほど嫌いじゃなかった。
 銀色の玉は、次から次へと釘と釘との間を駆け抜け、用意された穴に吸い込
まれていく。
 銀時は、それをぼんやりと目で追う。
(雨降りそうだな)
 片手でくしゃりと髪を掴んだ。やはり心なしか髪の毛が膨らんでいる。
「御髪が乱れるぜ」
 店員のマイク越しのアナウンスが店内に大音量で流れていた。景気のいい
滑らかな口調だ。年季が入っている。
 不思議だ。
「静かだなああ。おおい」
 声を張ってみる。
 しかし、それは喧騒に交じり合い自分の耳にすら届かない。
 ここはお手軽に独りきりになれる。
 誰もがお互いに無関心な場所だ。
 別に、独りになりたい訳じゃないのよ? ただの暇つぶしですよ。暇つぶし。
 でも、髪の毛が広がって憂鬱な気分になっちまう。
(天パの宿命だよなああ)
 隣の空いた席に、男が座る。湿った匂いがした。
 雨だ。雨が降ってきたのだろう。
 銀時が入り口の方を横目で見ると、自動扉が開いた。客が傘を畳んで入って
くる。外を見やるとやはりいつの間にか雨が降っている。しかもその雨脚は激
しい。往来は靄が掛かったように白く霞んでいた。
 ヤダねえ。
 こんな雨の日は。
 ――古傷が疼く、ような気がする。あくまで気がするだけだ。なぜなら、銀時
の体に目立った古傷はない。小さな傷ならいくらかあるが、どれも大したものじ
ゃなかった。
 なのに、こんな雨の日は酷く気分が沈む。じくじくと過去が痛み出す。
 なんでかな。
 忙しなく動く銀色の玉を目で追いながら、ふっと溜息を漏らす。
 おびただしい血の雨、髪を振り乱し刀を振り回す姿――それは、紛れもない
ほんの数年前の自分だ。
 後悔している?
(それは、ないない)
 
 それにしても今日はリーチが掛からない。
 見る見るうちに持ち玉が減っていく。
 玉を取ろうと手を伸ばすが、受け皿の中はすっかり空になっていた。
「あーああ」
 銀時はがっくりうな垂れた。
「明日からどうするよ? ほんとにヤバいですって。あああ」
 わしゃわしゃと頭を掻き毟って、叫んでみるけれども、きれいさっぱり無視さ
れます。
 こんな光景ここでは日常茶飯事みたいです。
 世知辛い世の中だ。
(文無しは帰りますよっと)
 銀時は立ち上がる。
 つまらないことをグダグダ考えた挙句、文無しとはいいザマだな。オイ。

 自動扉を出ると、雨が激しく路面を叩いている。店先でしばらく雨宿りをして
みれど、止む気配はない。仕方ない、濡れて帰るか。そう考え、走り出そうとし
た時に気付いた。小走りでやってくる相手に。
(あーあ。来ちゃったよ)
 ホントこの子はタイミングがいいねえ。
 銀時は苦笑いをする。そして駆け寄ってきた相手に片手を挙げて「よう、ぱっ
つぁん」と声を掛けた。
「銀さん、だから言ったでしょう? 雨降りますよって」
 新八は開口一番、眉を吊り上げてそう言った。
「ホントだなあ」
「にしても煙草くさい」
「パチンコしてたんだから仕方ねえだろ」
 鼻をつまんで、顔を顰める新八に「おらおら」とわざと体を近付けた。すると心
底嫌そうに後退りした。
「もう、ほら。帰りますよ」
 ずっと差し出された傘を、にやにや笑いながら受け取る。
「おむかえご苦労」
 偉ぶって労をねぎらうと、「あほ」と一蹴される。新八はわざとらしく溜息を吐
いてみせた。 
「わざわざありがとう、でしょうが」
「ありがとう。手間を取らせたな」
「そうですよ。人の言うこと絶対聞かないんだから。全くもう」
 雨脚はますます酷くなる。ふと視線を落すと、新八の袴の裾はすっかり濡れ
てしまっていた。傘を持つ手はとても寒そうだった。
「助かったわ」
 少し改まって新八を見ると、ぎょっとした顔になる。
「なんですか? どうしたんですか? 銀さん拾い食いでもしたんじゃないです
か」
「なんでそうなるよ」
 がっくり肩を落すと、
「だっていきなり真面目になるから」
 新八は言い訳めいた口調になった。銀時は、はははと笑い、視線を新八から
前に移す。ぼんやりと行き交う人々を眺めながらぼそりと言う。
「ちょっと、落ちてたからよ」
 昔のことなら忘れる筈がない。しかし、今になって思い出すと胸が痛むのは
何故か。
「何ですか? 雨音がうるさくてよく聞こえないんですけど」
 新八は声を張った。
「何でもねー」
「うそだ。何か言ったじゃないですか」
「ひみつ」
「何で」
「聞こえなかったお前が悪い」
 のらりくらりとかわすと、新八は「ハア?」と眉間に皺を寄せた。
「今日の銀さん変! 何か変!」
「俺はいつも変だ」
「威張るようなことか」
「ごめんなさい」
 新八は尚も怪訝な表情を浮かべながら、ぶつぶつと独り言ちる。
 穏やかな日々。
 平和だ。
 そうか。
(俺は幸せなんだ)
 多くの血を流した。命を奪った。そうして生きてきた人生を悔いはしない。た
だ、殺した相手にも家族や、心を寄せる相手がいたんだろうと。俺はそんな彼
らの人生をも奪ったのだろうと。そんな当たり前の事実に今更気付く。
 いや、本当は知っていたが、それに目をくれようともしなかった。
(俺も、若かったんだねえ)
 当たり前のことと今頃になって向かい合う。
 幸せになってしまったんだ。だから気付いた。
 雨の中、傘を差し出してくれる人間が、俺には出来てしまった。
 銀時は横目でちらりと新八を盗み見た。すると、その視線に気付いたのか、
新八もこちらを見る。
「新八よお」
「はあ」
「どうしようかね?」
「なにが」
「俺さー、お前たちが大事だわ」
 新八は「やっぱり変ですよ」と顔を赤らめた。不意に新八を引き寄せ、自分の
傘に入れる。
「ちょっと狭いんですけど」
「いいから、いいから」
 抗議をしても無意味だと悟ったのか、新八は諦めたように自分の傘を畳む。
そして、「あ」と声を上げ、くんくんと銀時の着物に鼻を近付けた。 
「何?」
「煙草のにおい、ちょっと薄れてる」
 「そうか?」と銀時は肩口に顔を寄せ、臭いを嗅ぐ。湿った、雨の匂いがし
た。
「雨が洗い流してくれたんですかねえ」
 新八はそう言って笑った。
「雨がねえ」
 呟く。
「髪の毛ふくらむから、やっぱ雨は嫌だな」
「ああ。銀さん天パですもんね」
「うるせ」
 与太話をしている間に、万事屋まで着いた。
 雨は相変わらず止みそうにない。
 過去は洗い流せない。臭いはきっと消えない。こいつらの傍らで、全てを背負
って。けれど俺は幸せになってしまう。それはもうどうしようもない。だって自分
が望んだ。
(俺は幸せになりたかったのかね)
 分からない。ただ、新八を、神楽を、その手を俺は取った。
 目の前に差し出されるさいわいを、どうして無視できるのか。
「ちょっとー、何ぬぼっとしてるんですか?」
 階段の上から新八が呆れ顔で見ていた。
「おお、いまいく」
 階段は雨水で濡れていた。カンカンと音を立てながら、一段一段昇っていく。
雨のせいで薄暗いなか、万事屋の玄関先にはやわらかな光が灯っている。







20070303










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