2008年2月17日銀新曜日で無料配布したもの。少し加筆修正箇所あり。
その日に発行した3Z本「ハイスクールララバイ」の続きになっております。
いろいろあって付き合うようになった先生と新ちゃん。
お妙さんと神楽ちゃんはお友だちで、その関係から神楽ちゃんはよく志村家で
夕飯を食べてます。
本編を読んでいないとわからないかもしれません…すみません…。



















 パフェ






「とりわけパフェはすばらしい」
 去年の四月、僕らZ組の担任になった銀八先生は誇らしげにいったのだっ
た。あの頃、僕はふうんとしか思わなかった。それ以上でもそれ以下でもない、
ふうん。
 僕は最上級生になり、日に日に周囲は受験の色が濃厚になってきている。
夏は受験の天王山とかいって、夏休みを前に受験組の生徒は勉強に本腰を
入れ始めている。僕も三年になり第一希望を地元の国立大に決めたので、受
験シーズン真っ只中なのである。
 しかし僕は浮かれていた。
 先生は、本当にパフェが好きなのだと知ることとなったのだ。
 僕は先生と二ヶ月ほど前から交際している。


 実感したのは、あれは、付き合い始めたころだ。図書室で勉強をし、下校時
間が迫ってきたので帰ろうと下駄箱で靴を履き替えていた。すると先生がやっ
てくる気配がして、僕は下駄箱から廊下の方へ顔を出した。
 案の定向うから先生がやってきた。僕と目が合うと、
「いま帰りか。遅いな」
 と、歩み寄ってきた。
 先生の気配はすぐわかる。いつもスリッパを引き摺るようにして歩くからだ。
他の先生はそんなだらしない歩き方はしない。
「図書室で勉強してたんで」
 僕が答えると、先生は少し考える素振りをしてから、
「今日、姉はバイト? もしそうなら飯でも食いにいくか」
 先生はいった。
 僕はそれにこくこくと何度も頷いた。
 先生は少し笑って、じゃあ車とってくるから裏門のあたりで待ってて。そう言い
残し、職員用の下駄箱のほうへ歩いていった。
 先生の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、僕は携帯電話で姉にメー
ルを送信した。今夜は友だちと夕飯を食べて帰るから。本当は、今夜は、姉の
アルバイトは休みだった。でもきっと今夜も神楽ちゃんがやって来るんだろう
し、一人じゃないから大丈夫だろう。上靴を下駄箱に片付いていたときにメー
ルの着信音が鳴った。姉からだ。わかりました。神楽ちゃんと夕飯を食べま
す。今夜はステーキ。文末にはハートの絵文字があった。僕は思わず笑い声
を漏らし、食べすぎないようにね、と返信をした。


 僕たちは、学校から車で三十分ぐらい走ったファミリーレストランに行くことに
した。さすがに学生服のままは不味いかあ。先生はそう言って、車に積んでい
たパーカーを貸してくれた。六月に長袖のパーカーは少し暑いが贅沢はいって
られない。半そでのカッターシャツの上からそれを羽織った。袖があまったので
折り返すと、それを見ていた先生が「短い手」とからかった。
 僕は悪かったですねとむくれながら、内心では緊張を隠そうと必死だった。な
ぜなら車内は先生の煙草の匂いがかすかにするし、パーカーからもやっぱり
先生の匂いがするのだ。先生の領域にいるということが、とても不思議に思え
た。
僕は先生に告白し、一度は断られている。しかしなぜだか今度は僕を受け入
れた。僕のどこを気に入り、付き合っているのか、確認をしたことはない。確認
するのはすこし、怖い。自信がないのだ。
 だけどあの日から、メールをすればちゃんと返事がくるし、電話も三回した。
 まあわかってると思うけど、俺は教師でお前は生徒な。おまけにお前は受験
生ときている。だからフツーの交際はお前が卒業するまで出来ないと思え。二
回目の電話をしたとき、先生のいった言葉だ。大丈夫です。わかってます。勉
強はちゃんと頑張りますし、先生に迷惑が掛かるようなことは、絶対、しませ
ん。誓います。僕は必死にいった。すると先生はしばらく沈黙になり、ごめんな
と謝った。僕はびっくりして謝らないで下さいといったけど、内心ではすごく浮つ
いた気分でいっぱいになった。特別だ、そういわれた気持ちになったのだ。そう
か。僕は先生の特別なんだな。そう実感した。そして、迷惑を掛けて先生に嫌
われたりしないように頑張ろう。心に誓ったのだ。


「何にやにやしてんだよ。気持ち悪いヤツ」
 運転をしながら、先生が横目で僕を見ていった。
「なんでもありません」
 そういう顔は弛みきっていたに違いない。先生は「ああ、そう」と呆れたように
言うと、再び運転に専念した。
ファミリーレストランに着くと、先生は真っ先に「吸っていい?」と煙草を吸う仕
草をして言った。
 どうぞ。僕が答えると、メニュー表も見ずに煙草を吹かしている。
「メニュー、見ないんですか」
僕が質問すると、お前決まったの? 逆に問われて、まだ、と答えた。
「豚キムチ丼がすごく美味しそうなんですけど、和風ステーキ丼も捨てがたいな
って思って」
 最初、豚キムチ丼に心を奪わたが、ふと姉の今夜はステーキという言葉を思
い出し、急に和風ステーキ丼も魅力的に見えてきたのだ。
「両方頼めば」
 先生が呆れたように言った。
「でもそんなに注文したら小遣いがなくなって苦しいし」
「俺が出すじゃん」
「駄目ですよ」
「なんで?」
「なんでって。なんかそういうの嫌なんです」
「ふうん」
 僕が固辞すると、先生はため息を吐いた。呆れられたのだろうか。こういう場
合は素直に奢ってもらう方がいいのだろうか。心配になって上目で先生を見つ
めると、目が合った。
「真面目だねえ。志村くんは」
 銜え煙草でにやにやと笑われる。
「わ、悪いですか」
 僕が言うと、
「まあ、いいんじゃないですかあ」
 先生は語尾の「かあ」を上げて言った。「お前らしいよ、そういうの」
 悩んだ結果、僕は和風ステーキ丼を頼んだ。先生は結局、一度もメニューを
見ることはなく、店員にチョコレートパフェを注文した。
 ば、晩ご飯食べないんですか。僕は驚いて訊ねた。晩飯よ。パフェは立派な
主食よ。先生は胸を張った。
 本気なのか冗談なのか計りかねているうちに、パフェはやってきた。先生は
スプーンを取ると、まるで神聖な儀式のようにひと口目を掬って口に運んだ。そ
れからもひと口ひと口を大事そうに頬張った。こんなに愛しそうに食せられた
ら、パフェもきっと本望であろうと思われた。


それから二度、一緒にファミリーレストランに行ったが、そのさいもパフェを注
文し、うやうやしく食べていた。
本当にパフェが好きなんですね。半ば呆れつつ言うと、先生は、パフェって何で
パフェって言うかしってるかと言った。首を横に振ると、先生はパフェをじっと熱
っぽい目で見つめた。フランス語で完璧なって意味の言葉からきてるんだと
よ。パフェってやつは完璧なデザートだ、そう思わないか? はあ、完璧です
か。曖昧な相槌をうった。
先生は完璧なデザートを愛している。本当にパフェが好きだ。


 
「新ちゃん、じゃあ私先に帰るね」
「うん。がんばってね」
 姉は学校が終わると、足早に教室を出て行った。アルバイトの日である。僕
は手を振って、姉を見送った。
 すると、姉が帰るのを見計らったかのように神楽ちゃんがやってきた。
「そこの眼鏡」
「な、何さ」
 かもし出す只ならぬ空気に僕は怯んだ。すると、神楽ちゃんは唇をつり上げ
てにやりと笑ったかと思うと、
「今夜は焼きそばアル」
 それだけ言って自分の席に戻っていった。
 思えば神楽ちゃんと夕食を共にするのは久しぶりだ。二週間前、姉が家にい
るときに一緒に食べたきりだ。少し前までは毎日のように二人で夕食を食べて
いたのに、ここ最近はそれがなかった。いつ頃からだろうと思い返し、はたとし
た。二ヶ月前の進路面談があった日、先生と僕が付き合い始めた日からだ。
何だか嫌な予感がするが、思い過ごしだと自分に言い聞かせた。


 夕方、キャベツを切っていると神楽ちゃんがやってきた。いつものように我が
物顔で居間のソファに寝そべる。その様子は、以前となんら変わりはないの
で、やはり自分の考えすぎだと胸を撫で下ろした。
 しかし、爆弾は突然に落とされた。
 それは焼きそばを食べているさいだった。僕はもうすっかり安心して夕食を
頬張っていた。
「私、見たアル」
 大盛の焼きそばをおかずにして、ご飯を食べていた神楽ちゃんは、ふと箸を
止めた。神楽ちゃんは食事中は目の前のご飯に集中するので、喋りかけても
反応がないことが多い。自分から話しかけてくるなんて滅多にない。
「どうしたの。見たって何を」
 珍しいこともあるもんだと、僕も箸をとめた。すると、神楽ちゃんは低い笑い
声をあげた。悪い予感が蘇ってくる。心拍が速くなるのが自分でもわかり、背
中にじんわりと嫌な汗がにじんだ。
 だから、なんなの。声は小さくなる。
「進路相談の日、私、見たアル」
 神楽ちゃんはひとつひとつの単語をはっきりと発音した。僕は息をするのも
忘れて、神楽ちゃんをまじまじと凝視した。言い終えて満足したかのように、神
楽ちゃんは再び焼きそばを頬張った。
 僕は閉口した。お茶でも飲んで落ち着こうと、コップに手を伸ばした、その指
先が小刻みに震えていた。
 神楽ちゃんは平然と焼きそばを平らげていく。
「だ、誰にも、い、言わないでよ」
 咄嗟に浮かんだのは先生の顔だった。僕は神楽ちゃんを睨みつけるようにし
て言った。
「言わないでいてもいいアル」
 その科白にほっと胸を撫で下ろそうとしたとき、ただし、と言葉は続いた。
「今日から眼鏡は私のシモベになるアル」
「し、しもべ?」
 突拍子もない考えにぽかんとした。しもべってあの、召使いとか、そういう意
味だよ。わかってるの。僕はおずおずと質問した。
 しってるアル。もちろんそのシモベ、アル。神楽ちゃんはそう言って、空になっ
た茶碗を差し出した。
 僕はぐっと言葉を詰まらせながら、その茶碗を受けとった。僕が神楽ちゃん
のシモベになった瞬間である。


「鞄をもつアル」
 神楽ちゃんに言われるがままに、僕は鞄を持つ。神楽ちゃんは暮れなずむ
家路を、傘を差しながら悠々と歩く。あれから僕は、放課後はシモベと化した。
「ねえ、夕方も傘を差すの」
 僕は前をいく背中に訊ねた。
 神楽ちゃんの肌は透けるように白い。白さを通りこして青みがかっている。血
管が青く透けていて青磁の陶器のようだ。そのせいなのか、日の光に弱い。日
中は日傘代わりに番傘のような傘をいつも差している。華奢で小柄な神楽ちゃ
んがその大きな傘を差していると、傘に差されているように見える。
「お肌に油断は大敵アル」
 振り返って、そう言うと神楽ちゃんはずんずんと歩いていく。
「待ってよ」
 僕は二人分の鞄を抱え、その後を追った。
「早く帰るアル。私、お腹ぺこぺこネ」
 ようやっと追いついた僕に、神楽ちゃんは片手で腹を押さえて訴えた。晩ご
飯、何にする? 僕が訊ねると、しばらく考えた末、ハンバーグと大きな声で言
った。
 主人であるところの神楽ちゃんの命令は、実にささやかなものだった。どんな
無理難題を申し付けられるのかと、内心びくついていた僕は、逆に肩透かしを
食らったぐらいだ。
 例えば、神楽ちゃんは酢こんぶが好物なのだが、僕のうちに酢こんぶを切ら
さないように用意しておくこと。日曜日、かくれんぼのメンバーが足りないから、
メンバーに加わること。焼きそばの豚肉を二十パーセント増量すること。
 こんなことぐらいで先生とのことを口外しないでくれるならばお安い御用であ
る。それに、神楽ちゃんに振り回されるのは不思議と嫌じゃない。
 ただ一つ、惜しむらくは、先生の誘いを断ったことだ。放課後、数学教師に呼
び出しを受けた神楽ちゃんの帰りを待っていたときだ。先生が教室の前を通り
がかった。一人でいる僕の姿を見つけ、部屋に入ってきて夕食でもと誘ってく
れた。しかし神楽ちゃんがもうすぐ戻ってくるはずだ。僕は先約があるからと断
腸の思いで断った。
 長らく先生と二人きりになっていない気がする。神楽ちゃんのことを相談して
みようかという考えがふと過ぎった。
「どうしたんだあ? なんかあったか?」
 口篭る僕を先生は覗き込んだ。
「あ、あの」
「なんだ? 困ったことか?」
 ふと、パフェを食べる先生の姿が過ぎった。パフェの意味は。
 やっぱり何でもないです。す、すみません。僕は喉元まで出かかった言葉を
引っ込めた。
 あの時、何とでも誤魔化せたのだ。別に手を繋いでいたとか、キ、キスをして
いたとかそんなんじゃない。ただ僕が好きだと告白しただけだ。誰にも言うなな
んて科白は相手に弱味を握らせるようなものだ。冷静になって自分の対処に
対して後悔でいっぱいだった。不器用すぎて恥ずかしい。そのせいで先生にま
で迷惑が掛かってしまったらと思うと、情けなさでいっぱいだ。先生に、卒業ま
では先生と生徒であることを忘れるなとあれほど念を押されたのに。僕は、駄
目だなあ。神楽ちゃんのシモベでいることは苦じゃない。ただ、この現状が自
分の至らなさが蒔いた種だと思うと情けなさでいっぱいになる。
 僕は結局、先生には何も言えなかった。先生は何も言わず、ただ少しだけ目
を伏せ、僕の頭にぽんと手を置いた。まあ、うん。じゃあ、今度な。そう言って、
先生は手を離すと、教室を出て行った。スリッパを引き摺るようにする足音が
どんどん遠ざかっていく。僕は咄嗟に先生を追いかけようとしたが、廊下を誰
かが通ったので、足を止めた。メールを打とうと携帯電話を取り出したものの、
何をどう綴ればいいのか途方にくれて、乱暴にズボンのポケットに突っ込ん
だ。ほどなくして神楽ちゃんが戻って来た。


「銀ちゃんが教室から出てくるの見たアル」
 神楽ちゃんが言った。あ、そう。僕は素っ気無く返事をした。
「ねえ、こういうのって脅迫って言うんだよ。知ってる?」
 僕は刺々しい口調で言った。完全に八つ当たりである。先生となかなか上手
くいかないのも、僕が何ごとにも上手く立ち回れないのも、全部自分のせいで
あり、神楽ちゃんが悪いわけじゃない。
 神楽ちゃんの顔をまともに見ることはできなかった。俯いて、ただ拳を力任せ
に握った。
「嫌なら迷惑って言えば? ほんとうは別に何も見てないアル」
 僕は驚いて顔を上げた。
「なにそれ。僕を騙したの」
「進路指導の日から、眼鏡がおかしいってアネゴがいうから、ちょっとカマをか
けただけアル。前までは一緒にご飯食べていたのに、突然用事とか言って帰り
が遅くなったりするし、って」
 姉が。僕はどきりとした。
「私が嫌なら、そういうアル。もう一緒にご飯は食べない」
 神楽ちゃんは僕を真っ直ぐ睨みつけながら言った。
「嫌とか、そんなんじゃないよ」
「じゃあなに」
「シモベはやめたい」
「やめれば? こっちから願い下げアル」
神楽ちゃんは、興奮しているのか白い頬が高揚して真っ赤になっていた。
突然、つかつかと歩み寄り、僕のどてっ腹を思いっきり握り拳で殴った。一瞬
息が止まる。
「いっ……たあ」
 次の瞬間、重い衝撃が腹から体を巡った。
「この根暗眼鏡っ! ばーーーか」
 神楽ちゃんは隣の教室にも届きそうな大声で言うと、鞄を引っ掴んで教室を
出て行った。
「ちょ、ちょっと……」
 待ってよ。腹部の打撃で言葉が発せられない。僕も自分の鞄を取ろうとして、
神楽ちゃんの机に愛用の傘が立て掛けられたままであることに気付いた。僕
は鞄と傘を掴んでよたよたと出て行く。廊下を曲がったところで先生と会った。
「せ、先生、あの、もしかして」
 痛みが和らいできて、僕は先生に話しかけた。先生は困ったように頭をがし
がしと掻いた。
「まあ。うん。盗み聞きするつもりはなかったんだがな」
「すみません。僕のせいで。あの、色々と」
 何から説明していいのか、頭が混乱する。すると、先生が僕の両肩にぽんと
手を置いた。
「神楽のこと、追っかけてる最中だろう」
「は、はい」
「なら、早く行ってこい。俺は、あとから聞くから」
 僕は、すみませんと小さな声で謝った。すると先生は、そこは謝るところじゃ
ねえからと笑う。
 何と言えば逡巡し、
「ありがとうございます」
 とだけ言って神楽ちゃんを追いかける。振り返ると先生がひらひらと手を振っ
ていた。
 校舎を出て、校門をくぐって外へ出た。神楽ちゃんと一緒にいるのが嫌なん
て思ったことはない。ただ自分の不甲斐なさが情けなかっただけだ。
 僕は神楽ちゃんといつも帰宅する道順を追いかけた。そして、やはりそこに
神楽ちゃんはいた。背中が怒っている。ずんずんと大股で歩いている。僕は傘
を広げ、神楽ちゃんに近づいていった。そしてやっと追いついて、後ろから傘を
差し出した。番傘もどきの傘は想像以上に重みがある。こんな重い傘をいつも
軽々と差しているのだ。あの重いパンチも頷ける。そう思うと自然に笑いが込
み上げてきた。
「何アル」
 不意に背中が訊ねた。
「傘、忘れてるよ」
「あ、そう」
 傘を奪おうとした神楽ちゃんを僕はひょいと避けた。
「シモベはやめたい」
「さっき聞いたアル」
「でも友だちになりたいんだ」
 僕は言って、神楽ちゃんに傘を差し出した。
 神楽ちゃんはぽかんと口を開いた。
「よくそんな恥ずかしいことが言えるアル」
「恥ずかしくないよ」
「恥ずかしい眼鏡アル」
「自分だって眼鏡のくせに。牛乳瓶底眼鏡」
 僕は言い返した。神楽ちゃんは傘を奪い、軽々と差す。
 一緒にご飯を食べることも、一緒に遊ぶことも、楽しかった。ずっと。シモベじ
ゃなくたって、傘を差し出すし、酢こんぶも用意する。
 振り返ってみると、僕はずっと神楽ちゃんのことを姉の友人という目で眺めて
いた。二人で夕食を食べるようになってからもそんな風に考えていた節があっ
た。
 一緒にいたいから一緒にいるんだろう。いつだったか先生が言った言葉を思
い出した。
神楽ちゃんは僕に友人の弟という接し方をしたことはなかったのに。
 神楽ちゃんは再び大股で歩き出した。肉、食べたいアル。肉。じゃあ豚のしょ
うが焼きにしようよ。夕日がまぶしくて僕は目を細めた。


 夕食を一緒に食べて、神楽ちゃんは帰っていった。ふと時計を見ると九時前
だった。思い切って先生にメールを送ってみた。会いたい。すると、学校にい
る、と返事がきた。今からいっていいですか。視聴覚室にいる。僕は携帯電話
を握り締め、学校へ全力疾走した。途中で、姉にメールを送る。ごめん。色々
ちゃんとできたら、ちゃんと説明するから。僕は送信して、走る速度を速めた。


 夜の学校は暗かった。
しかし職員室と視聴覚室には明かりが灯っている。
 真っ暗の廊下を誰にも見つからないように急いだ。息を整えて、視聴覚室の
扉を開けると先生はいた。窓の方を向いて、煙草を吸っている。
「先生、来ました」
 その背中に言うと、先生は振り返り「よお」と言った。
「完璧になりたいと思えば思うほど遠ざかるし。先生には迷惑を掛けたくないの
に」
 僕は入口の前に突っ立ったまま言った。
「とりあえず入れば」
 先生は落ち着いて言った。僕は促されるまま、扉を閉め、先生に近づいてい
った。目の前まで行くと、先生は煙草を灰皿に押しつぶし、僕の両手をとった。
「なあ、俺はさあ、お前と放課後一緒にあれこれ遊んでやることも出来ねえし、
誰かに見られたら困る相手だし、だから我慢をさせて悪いと思っている」
 僕は悲しくなって頭を振った。
「やめてください。僕はそんなことがしたくて先生を好きになったんじゃありませ
ん。我慢とか、悪いとか、僕そんなこと思ったことありません」
 言うと、先生は穏やかに笑った。
「そういうこと。お前が俺に抱いてることも、同じだって」
 先生はそう言って、僕の左頬を軽くつねった。
「い、いたいです」
 あんまり痛くないけど、僕は訴えた。なんだか今日は鉄拳制裁が続くなあ。
 だからさあ。先生はつねるのを止め、手のひらで頬を包み込んだ。
「俺だって好きなんだからさあ。何でも言えよ。迷惑掛けたくないとか、そんな寂
しいこと言うなよ」
 先生は諭すように言った。
僕はごめんなさいと謝りそうになり、口を噤んだ。そして言葉の代わりに何度も
何度も頷いた。
 







20080217








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