おめでとう






 うちに帰ると、テーブルの真ん中に白いケーキ箱が置いてあった。
 昼過ぎにパチンコ屋に入店し、店内をぐるりと一巡して台を選んだ。俺は頻
繁に台を変えて打つことを好まなかった。ここぞと決めた場所でじっくりと打つ
のを好む。それで本日の台と決めた場所で打つこと二時間少々。
 その日のパチンコ台には嫌われた。相性が悪かったのだ。さっぱり当りがこ
ないままに玉は尽き、金も尽きた。
 仕方がないし、金もないしで、日暮れの前に帰宅した。
 するとそれがあった。
 めずらしいこともあるものだ。
 四角いケーキ箱をしげしげと眺めた。それはホールケーキを入れる用のもの
だ。とりあえず中を見てみようと箱に手をかけた時に新八が台所からやってき
た。
「あ、銀さん」
 俺を見るなり、しまった、という顔になる。
「帰るのはやくないですか」
 言いながら俺の手元から箱を奪った。
「それなに」
 箱を指差す。新八は後ろ手に箱を隠した。
「これは夜ですよ。いまは我慢してください」
「だから、なに」
 重ねて訊ねると、新八が眉間にしわを寄せて怪訝な表情をうかべた。
「ほんきで聞いてんですか」
「いたって本気ですけど」
 本気もなにも。
 新八の言葉に、はてと首をかしげた。
 試しに宝くじでも当たったかと訊ねると、真顔でバカですかと返された。ですよ
ね。新八は一切合切そういう類には手を出さない、いわめて地道な性質であ
る。
 それに加えて万事屋は自慢じゃないけれど、万年財政難に苦しんでいる。
 常日頃から赤字を口癖とし、何かと財布の紐が堅い新八の、この大盤振る
舞い。まあ、何より砂糖を愛する俺としてはうれしいかぎりですが、どういう風の
吹き回しだろう。
 すると、新八はだってねえと口を開いた。
「十月十日でしょう」
「ああ」
 なるほど。呆れた新八の顔を見て、俺は低く唸った。そういうことか。すっかり
失念していた。
「よく知ってたな」
「知ってますよ。それぐらい」
「言ったっけ?」
「いつ聞いたかなんていちいち覚えてないですよ。何か知ってんですよ」
 俺はふうんと頷いた。 
「うれしかないんですか」
「うれしいもなにも、びっくりしています」
 そこで言葉を切った。すると新八はケーキ箱をテーブルに大事そうに置きな
おした。
「神楽ちゃんね」
「ああ?」
「もうすぐ帰ってきますよ。ろうそく、何本貰えばいいのかわからないから、大き
なろうそく三本頂いたんですけどね、神楽ちゃんが足りないかもしれないって言
ってもう少し貰いにいってます」
「三本って三歳?」
「違いますよ。大きいろうそくが一本十歳、それより小さなろうそくを一本一歳に
見立てたり、します」
「見立てたり、するんですか」
「たり、します」
 へえ。俺はぼんやり頷いた。
「めでたいでしょう。だって。誕生日なんだから」
「そうだな。ケーキ食えるもんな」
 俺は気もそぞろに生返事をした。
「ちょっと外いってくる。すぐ戻る」
「えっ。銀さん」
 背後で非難がましい声がする。しかし俺は無視をして、そそくさと外に出た。
急にあの空間が居心地が悪くなったのだ。
 足早に階段を下りて、スナック登勢の前に来た。扉に準備中の札がかかって
いる。構わず店に入ると、登勢が奥から出てきた。
「鍵ぐらいしめろよ。ぶっそうだな。オイ」
「物騒なのはお前だろうが」
 登勢は心底迷惑そうに言った。
 しかしそれを無視して、カウンターの一角に座って頬杖をついた。
「酒くれ」
「おもての札、見えなかったのかい」
「見たけど、くれ」
 照明の消えた店内は薄暗い。カウンターの奥から漏れる明かりだけである。
登勢は大袈裟にため息をつくと、カウンターに並んでいる数々の酒瓶の中から
無造作に一本取り上げた。グラスに半分ほど注ぐと、俺の前に出した。
「これ飲んだら帰りな。お誕生日会なんだろう。今日はお前の」
「知ってんだ」
「昨日神楽が言ってたからね」
「あ、そう」
 俺はその何かわからない無造作な酒を傾けて、唇をしめらせた。ブランデー
と思われる。ちびちびとすするように飲んだ。野暮ったい飲み方であるが気に
はしない。
「アタシから言わせればアンタは青臭い」
「なんですか。ババア」
 うすら暗い中、登勢の煙草の火だけが赤く浮かび上がっている。
「仲良くハッピーバースデーだの何だのって歌われてればいいんだよ。それが
お似合いだわ」
「イイ歳して、今さら恥ずかしいじゃん」
 例えば去年の十月十日はどうやって過ごしていたろうと思い返す。しかし思い
出せない。それぐらい漫然と過ごしたはずだ。では一昨年は? それより前
は? 思い出せるはずはない。単純に一年、三百六十五日のうちのただの一
日として特別視したことがなかったからである。
「アンタの態度が恥ずかしいわ」
「――帰るかな」
「帰れ」
 登勢はしっしと猫でも追い払う仕草をした。
「言われなくとも」
 俺はグラスの中身を飲み干して席を立った。喉がかっかと熱い。
 半ば追い出されて店を出ると、日が傾きかけていた。日暮れは近い。
 万事屋の階段をゆっくりと登る。
 だってさあ、考えてもみて下さいよ。
 今までそういうのなかったのによ? この歳で突然お誕生日をお祝いされる
なんてねえ。困りますよ。ええ、困りますとも。
 ワタクシ、慣れていないんですから。
 そっと扉を開けると、何となく息を潜めながら中へ入った。
 奥からは二人のにぎやかな気配がする。
「銀ちゃんはあ?」
 神楽が聞いた。あの子は地声が大きい。玄関先まで会話が筒抜けである。
「ちょっと出てくるってー」
 新八が声を張って答えた。どうやら離れた距離同士で会話をしているらしい。
会話の主役は俺のようだ。聞き耳を立てるつもりはないけれど、聞こえるのだ
から仕方がない。中へ入りづらい空気であった。
「どこ入ったアル」
「さあ。まあでもすぐに帰ってくるんじゃないかなあああ」
「ふうん」
「たぶんねえ、照れているだけだから」
 声は少し小さくなった。
「何で照れるヨ」
「さあ。何か難しいお年頃みたいだよ」
「ヤッカイな男アル」
「だよね」
「早く銀ちゃん帰ってこないアルか。ケーキ食べたいアル」
 ケーキ、俺も食いたい。
 子どもも色々と気を使うもんだ。俺の窺い知れぬところを垣間見た。がしがし
頭を掻いて、むっつり腕組みをした。しばらく突っ立っていたものの、やがて少
しだけ息を吸い込んだ。
「いま帰ったぞおおおお」
 声を張り上げた。
 二人がばたばたと足音をさせてやって来た。
「帰ったぞう」
「おかえり。銀ちゃん」
 神楽が手を引っ張る。
「おめでとー。銀ちゃん」
 ぐいぐい引っ張りながら言う。
「おう」
 俺はもぞもぞとした気持ちを抱えつつ答えた。ふと、振り返ると、新八が後ろ
を歩いている。目が合った。
「おめでとうございます」
 新八も笑って言った。
「うむ」
 俺は仰々しく頷いた。
 テーブルには生クリームのホールケーキがあった。「銀ちゃんハッピーバース
デー!××歳」と書かれたチョコレートのプレートが刺さっている。周りには大
小のろうそくが刺してある。大きいのが八本と小さいのが十本、斜めに立って
たり、密な間隔で立ってたりと、何とも奔放に立ててある。
「ねえ、これ歳の数だけ用意するんじゃなかったのか」
 計算すると俺は九十歳になる。二人にはそう見えているのだろうか。老け顔
にもほどがある。
「そうですけどね」
 新八はケーキを見て少し苦笑した。
「せっかくろうそく貰ったアル。全部立てた方が豪華ヨ」
 神楽が横から満足そうに言う。
「確かにな」
 俺は言った。そして、
「ありがとな」
 とも言った。
 そして三人で声高らかにハッピーバースデーの歌を歌って、合計18本の燃え
盛るろうそくを一気に吹き消した。
 こういうことに慣れてしまっていいのだろうかとの危惧も、ある。しかし観念し
ようとも思う。
 お誕生日おめでとう。
 どうも、どうもありがとう。







20071014









inserted by FC2 system