これからのこととか






 学校で二人きりになれる場所というのは意外と少なかったりする。
 特に教師と生徒の場合。
 そんな数少ない二人きりの逢瀬のチャンスが巡ってきた。

 放課後、3Zの教室に入ると銀八先生がひとり、僕を待っていた。
「はいはーい。じゃあここに座って」
 促されるまま、僕は先生の前に座った。
「志村くんは進学だっけか」
 はい。僕は頷いた。
「希望の大学は決まってるんか」
 ええっと、そうですね。二、三の大学名を挙げる。地元での進学を希望してい
るので、それと自分の成績を考慮して決めた。妥当な選択だ。
 銀八先生は俯いてメモを取っている。
 まあ察しの通りただの進路面談です。
 二つの机をくっ付けて向かい合わせで座っている。しかし、逢瀬なんてそんな
甘い空気は一切漂っていない。
 ひたすら先生と生徒の面持ちである。
「ふうん。まあお前らしいっつか。安全牌だな」
 悪いですか。いいじゃないですか。僕はいささかムッとして言い返した。
「悪かねーよ。いいんじゃねえか。まあお前の成績だとよっぽど気を抜かん限
り大丈夫だろうよ。つーか、お前は大学行って何やりたいんだ」
 先生はメモに目線を落としたまま聞いた。しかしあまり興味がなさそうな口調
だ。
 やりたいことを見つけるのが大学なんでしょう。僕はどこかで聞き齧ったこと
を言った。
「ふうん、まあなあ」
 顔を上げた先生は笑っていた。
 終わりですか。もう僕帰っていいですか。そう言って椅子を引こうとすると、
「まあせっかくだしゆっくりしていけよ。次のヤツまでまだ時間はある」
 まだってどれぐらいですか。座りなおして訊ねた。先生は壁掛け時計を見上
げた。僕もつられて見上げる。
「そうだなあ。あと十五分くらいだな」
 先生は言った。
 何か長いんだが短いんだか微妙な時間ですね。
「だなあ。どうだ? 最近」
 まあぼちぼちですかね。
「それは結構だ」
 結構なんですか。
「結構だろ。ぼちぼちってのはそこそこイイってことだろ」
 まあそうですかね。
 僕は先生をまじまじと見た。先生の顔は窓から差し込む西日で橙色に染まっ
ている。
 眩しくなって下を向くと机や椅子の脚の影がひょろっと長かった。
 僕らって何ていうかすごく普通ですね。ぼそっと呟いた。
「普通って?」
 先生はいつの間にかノートを閉じていた。頬杖をついて眠そうな目で僕を見
ている。
 使ってない教室で逢引したり、屋上に続く階段でこっそりキスとかしたり、隠
れてもっと色んなことに及んだり、先生と生徒がデキた場合そういうことするん
じゃないんですか。
 僕は銀八先生と交際しているはずだけど、学校でそういう雰囲気になったこ
とは一度たりともない。
 いわゆるAはした。先生のうちでした。BやCというと未だ未経験である。未知
の世界だ。
 しかし女子が読んでる漫画だと、そういう関係の先生と生徒は学校内であの
手この手で頑張っている。
「そういうのは漫画の世界だけだろ。しっかし本と最近の漫画は過激だなあ。フ
ツーに学校では盛らない」
 先生はずるずると椅子から崩れ落ちそうになりながら溜息交じりに言った。
 そんなもんですか。
「そんなもんだろ」
 そうですか。
 相槌をうった。
 銀八先生は顔の前で両手を合わせて息を吐き出した。それからちらっと僕を
見た。
「してーのか? そういうの、学校で」
 いやいや。いいです。いいですってあの結構ですって意味ですよ。
 僕は慌てて否定した。
「そうか」
 はい。
 先生はちょっと間を置いて口を開いた。
「けじめ、いるだろ」
 けじめ。
 僕は鸚鵡返しした。
 先生の口からそんな言葉が出るなんて意外です。思わずつるっと言った。
「お前は素直だな」
 面白そうに先生は笑った。
 僕はノートの上にあるシャープペンシルを奪った。
 嫌味ですか。 
 カチカチと芯を出してもてあそぶ。どんどん出していくと三センチで落ちて机に
転がった。手を伸ばすと先生が先に拾い、僕の掌を上に向けさせてそれを置
いた。
「俺もね、アンタに関しては結構真面目なんですよ」
 少しだけ身を乗り出して僕の肩をぽんと叩いた。
 真面目に僕のことを考えているのか、そうか。心の中で反芻し頷いた。
 僕も真面目です。そう言い掛けてやめた。僕が先生に真面目な思いを抱いて
いることはとっくに知られているはずだ。そもそも付き合っているんだから僕が
どんだけ先生に真剣だって構わない。
「だから新八くんもぼちぼち頑張って下さい」
 廊下で足音がした。僕はハッとして先生の顔を見た。先生は小さく頷く。次の
同級生がやってきたんだろう。
 時計を見ると後二分しかない。
「時間だな」
 先生は語尾を延ばしてのんびりと言った。
 ですね。貴重な時間が終わっていく。僕が立ち上がろうと腰を浮かせると、先
生も立ち上がった。
「でもやっぱりちょっと離れがてーよなあ」
 先生は苦笑いを浮かべていた。ですよねえ。僕も同じような表情になって笑っ
た。
「まあ受験は一生続く訳じゃねえからな。とりあえず春までふんばれよ」
 気を取り直したように先生は僕の肩に手を乗せて言う。
 はい。僕は出来うる限り元気のよい声で返事をした。
「俺も春まで我慢するからよ」先生は最後にそう付け足した。
 それじゃあ。
「おう」
 先生は片手を挙げた。僕は一礼して教室を後にした。






20071001









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