家族ゲーム3




「おい」
 店に出勤し、制服に着替えていると店長がやってきた。不穏な表情だった。
「す、すみません」
 僕はとりあえず頭を下げた。冷や汗がでる。心当たりがあり過ぎるからだ。神
楽ちゃんはあの日以来殆ど毎日のように訪れる。僕の勤務時間は関係ない。
好きな時にやってきては、好きなだけ料理を注文し、満腹になると「眼鏡のツケ
でヨロシク」と言い残して帰っていく。今じゃちょっとした有名人だ。
「あの、彼女には僕からよく――」
 言い聞かせますから。言おうとした言葉を店長が遮る。
「いや、責めてんじゃねーぞ」
 手近にあったパイプ椅子にどかりと腰を下ろすと、店長は煙草に火を点け
た。
「え」
 予想外の台詞に戸惑う。
「店側はな、お前の給料から天引きするから構わねえよ。むしろあんだけ注文
してくれる客は大歓迎だ」
 でもなあ。店長は紫煙をくゆらせながら僕を見た。
「お前このままじゃ給料ねえぞ。ヤバい女にハマったなあ」
「えっ。あの彼女じゃありませんから」
 びっくりして慌てて否定すると、店長は少し眉を上げた。
「じゃあ一方的に貢がされてるんか」
「だから違います」
 ふーん。含みを持った相槌だ。絶対誤解はしたままだ。店長は灰皿に煙草を
押し付けて立ち上がった。
「まあいいけどよ。話はそれだけだわ」
 部屋を出て行こうとする後姿に呼びかけた。「あの」
「心配して頂き、ありがとうございます」
 店長がそんなふうに考えていたとは思わなかった。頭を下げて礼を言う。す
ると、腰に手を当てて片手ががしがしと頭を掻いた。
「まー、お前昔より使い物になっからよ。こっちとしては辞めてほしくねえんだ
わ」
 店長は用件を告げると、出て行った。
 使い物になる。
 僕はその店長の言葉を反芻した。
 以前、勤めていた時は僕のことを「役立たず」だの「根性なし」だのと散々な
言葉で叱責していた。やさしい気遣いなど見たことがなかった。
 僕は着替えを再開する。
(店長まるくなったなあ)
 シャツの釦を掛けながら、ぼんやり店長の出て行った扉を眺める。
 ちがう。
 本当は分かっている。
 僕が変わったんだ。銀さんの、万事屋のなかで僕が変わった。銀さんに出会
って、ほんとうの侍になりたいと切望したあの瞬間から僕は。
「なのに、どうしてですか…」
 銀さんにとって僕は結局そんな程度の存在でしかないのだ。
 その事実を目の当たりにして泣きたくなる。
 ああ、駄目だ。銀さんのことは努めて考えないようにしてきたのに、油断する
とすぐこれだ。心にどうしようもない影を落とす。気を抜くとその影に落っこちて
しまいそうだ。
 頭を振って、さっさと着替えを済ませた。時計を見ると出勤時間が迫ってい
る。僕は慌てて部屋を出て、ホールに向った。



「あーあ。疲れた」
 今日のファミレスはいつもに増して忙しかった。繁盛していて何よりだ。僕は
自宅に戻るなり自室に一直線に引きこもった。畳に大の字で寝転ぶ。
「しんちゃーん。帰ってるの?」
 障子の向こうから姉上の声がした。
「あ、はい。ただいま戻りました」
 返事をするや否やがらりと障子が開く。僕は体を起こし、そちらに視線をやっ
た。
 姉上が立っている。その後ろからひょっこり姿を現したのは神楽ちゃんだっ
た。
「ヨウ! めがね!」
「神楽ちゃん!」
 二人して僕の部屋につかつかと入ると、適当な場所に腰を下ろした。
「なんですか」
 正座になり、少し構える。心なしか声は強張ってしまった。
「なにビビってるアルか。情けないナ」
「ビビってません!!」
 神楽ちゃんが呆れた顔で言うもんで、僕は身を乗り出して否定した。
「ビビってるアル」
「なんで僕がビビる必要があるんです」
 口篭りながら言うと、姉上がにこやかに手を叩いた。
「はいはーい。喧嘩するなら外でやってね」
 僕は「喧嘩なんか」ぼそぼそと呟いて、正座した袴をきつく握った。
「オマエ、帰ってこないつもりか?」
 神楽ちゃんが僕を睨む。
 僕は答えることが出来なかった。
「ハッキリしろ。男ダロ」
「だって銀さんが僕のこといらないって」
「なにそれ。銀ちゃんのせいなのカ?」
「そ、そうだよ」
「さいてい。ねがね」
「うるさいよ。じゃあ僕が悪いの?」
「完全にオマエが悪いダロ」
「ひどいよ。神楽ちゃん」
「ひどいのはめがねダロ」
「そんな僕はただ」
 僕の声は段々弱弱しくなる。
 神楽ちゃんは僕の顔をまじまじと見た。「ふーん」頬を膨らませて、怒ってい
る。
「銀ちゃんのせいにするなんてアキれたヤローネ。帰ってこなくていいアル」
「か、帰らないよ」
 売り言葉に買い言葉だ。僕たちはどんどんむきになった。
「新ちゃん」
 姉上が見かねたように割って入った。
「黙っていようと思ったんだけど。新ちゃんが万事屋辞めた次の日にね銀さん
のところ行ったのね」
 どうして、そんな余計なことを。カッとして言い返そうとすると、先に姉上が「ご
めんね」と謝罪した。僕は何も言えなくなって俯く。「それで」
「不当解雇だ。この不況のご時世、次の働き口が見つからなかったらどう責任
取るんだ。退職金を渡せって詰め寄ったの」
 僕は思わず閉口した。さすが姉上というか。転んでもただじゃ起きないという
か。女は怖いというか。脱帽の思いで姉上を眺める。
「万事屋にそんなお金ないですよ」
 僕は脱力して少し笑いながら答えた。清貧の生活を送る万事屋に余分な金
などあるはずがない。いや、仮にあったとしてもそんな言い掛かりに払う金など
ないだろう。
「まあね、金はねえ! って一蹴されたんだけど。職がないなら、困ったならい
つでも戻ってくればいいって」
「そんな」
 僕は二の句が告げなかった。
 なんですか。それ。
 俯いて、袴を握る手に一層力を込めた。すると僕の手の上に姉上がそっと手
を重ねた。
「そんな力で握ったら皺になっちゃうわよ」
「す、すみません」
「女々しいメガネだな」
「ご、ごめん」
 僕は姉上と神楽ちゃんに頭を下げた。
「どこだっていいの。新ちゃんが決めたところで働けばいいのよ」
 姉上の言葉は以前聞いた時とは違う響きで僕の耳に届く。
「神楽ちゃん、あんみつ食べにいこう」
「賛成アル」
 二人は押し黙った僕を残してさっさと部屋を後にした。二人の気遣いに素直
にありがたいなと思った。
 僕が決めたところ。
 僕が決めなくちゃいけない。
 銀さんに何を言われようと僕がどうしたいかを言わなくちゃいけなかった。
 否定されたならそれから泣けばいい。




20070422
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