雨なら傘さして






 夕食の買出しのために外へ出ると、空は厚い雲で覆われ昼間だというのに
薄暗い。傘も持って出掛けることにした。買い物を済ませ、店を出ると案の定
雨が降り出していた。
 店先で雨宿りをする人たちを横目に僕は傘を差して往来に出る。
 今日は卵が安かった。毎週火曜日は卵の特価日なのである。お一人様1パ
ック限定だが夕方にはいつも売切れてしまう。だからいつもより早めに買い物
に来た。その甲斐あって無事購入できたので今夜はオムライスにでもしよう。
 銀さんと神楽ちゃんは依頼がないからと言って、朝ごはんを食べるとふらりと
出掛けた。どこで何をしてるんだか鉄砲玉なところは二人ともよく似ている。ま
るで本当の親子みたいだ。
 けれどこの雨である。そろそろ帰ってくるだろうと僕も心持ち足を速めた。
 雨脚はどんどん強くなる。
 傘を持たない通行人が小走りで行き交う中、しばらく行くと前に見慣れた背中
を見つけた。
 雨の中特に急ぐ様子も無く歩いている。
「土方さーん」
 僕はその背中に声を掛けた。
 土方さんはゆっくりと振り返って、僕を認めると「おう」と言った。休暇であろう
着込んだ着物は濡れそぼっているにも拘わらず、平然と雨に打たれている。
「雨ですよ」
 一応言ってみた。
「雨だな」
 土方さんもしらっと答えた。一応この雨に気付いてはいるんだな。僕は傘を差
し出した。
「お前が差しとけ」
 傘には入ろうとせず土方さんは歩き出した。無頓着というか何と言うか。僕は
ため息を吐いたが、気を取り直してその背中を追いかけた。
「僕と一緒の傘に入るのはイヤですか? 恥ずかしいですか?」
 土方さんの隣を歩きながら言い募った。これは卑怯な言い方だ。土方さんは
ぴたりと足を止め、僕を見た。そして濡れた前髪を掻き揚げ、おもむろにひょ
いと傘を奪った。
「行くぞ」
 素っ気無く歩き出す。僕もその横についていく。土方さんって鬼の副長とか言
われてるみたいだけど、こういうところがとても可愛いと思う。言ったらすごく不
機嫌になりそうだから秘密だけど。
「土方さんは今日お休みだったんですか」
 僕はにこにこ笑いながら訊ねた。
「ああ、まあな」
「お休みには何してるんですか」
 僕らは交際が始まったばかりだ。きっと知らないことの方が多い。
「何もしてねえなあ。俺にはこれしかねえしな」
 土方さんはそう言って腰の刀を触った。真選組の隊服を着ている時は元よ
り、それを脱いだ時も肌身離すことのない刀。
 これしかってひどいなあ。僕らの付き合いは始まったばかりで、きっと知らな
いところでいとも容易くお互いを傷つけることができるんだ。
 まあ僕が土方さんにもっと好かれるだけの人間になればいいだけの話なの
だが。
 ふと気付くと土方さんはずいぶんと僕の方に傘を傾けていた。その肩が半分
以上傘からはみ出ている。そのお陰で僕はまったく濡れずに済んでいた。
 僕は横にずれて、傘を持つ土方さんの腕を引っ張った。
「濡れんだろ。お前」
「だって土方さん濡れてるじゃないですか」
「俺はいいんだよ。第一すでに濡れてるしな」
 確かにそうだけど、そういう問題じゃない。僕は土方さんをキッと見つめた。
土方さんは少しだけ目を瞠る。
「――ちっともよくないですよ。何で土方さんならいいんですか」
「なんだよ。」
「イヤです。そういうの。すっごく嫌だ」
「はあ? だからなにが」
 土方さんが解せないという表情を浮かべる。
「土方さんだけ濡れて、僕だけ傘の中とか。それっておかしくないですか」
「おかしかねーだろ」
「おかしいです」
 僕は土方さんの腕をさらに引っ張って傘の中に入れた。その代わり、僕の体
は少しだけ傘からはみ出る。傘の露先を伝って雫が肩を濡らすけれど気にし
ない。
「正直お前が何に拘っているか分からねえ」
 土方さんは面倒臭そうなため息を吐いた。
「土方さんが濡れないように気遣ってくれたけど、僕だって思ってる。僕だって
土方さんが濡れないようにって思ってます」
 僕は怯まず一気に言った。
「ああ」
 土方さんははたと唸った。
 一方的な関係はご免だ。じりじりと見つめていると、土方さんは不意に小さな
笑いを漏らした。ふっと息を吐き出すように笑う。
「いや悪かった」
 土方さんはちょっと真顔になって頭を下げた。僕が強引に傘の中に引っ張り
こんだせいで、その距離はとても近い。土方さんの顔が頭上のすぐ上にあっ
て、僅かに息が掛かる。僕は突然その距離を意識した。
「ひ、ひひ土方さんが謝ったあ」
 大袈裟に声を張る。顔が赤いかもしれない。ばれないようにと俯いた。
「俺だって謝るときぐらいある」
 土方さんが憮然と言い放つ。
「うっそだあ」
「うるせえなあ」
 土方さんは僕の方に少しだけ傘を戻した。ちょうど同じぐらいだけお互いの肩
がはみ出る。
「これでいいだろ」
「……はい」
「お前は勇ましいヤツだな」
「知らなかったんですか」
「いや」
 僕が笑うと土方さんも口元に笑みを浮かべた。
「知ってたよ」
 雨は相変わらず強く降る。万事屋の前まで来ると、土方さんが傘を返そうと
するので「持っていって下さい」と押し付けた。土方さんは案外すんなりと受け
取った。
「悪いな、今度返す」
「はい。また」
 僕は土方さんの後姿を見送って、万事屋の階段を上った。






20070913









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