hot Cake



「今月も苦しいなー」
 財布の中を確認すると憂鬱な気分になる。紙幣は入っていない。小銭が数枚残さ
れているだけだ。
 スーパーで特売の卵と牛乳を購入すると、財布の中はすっからかんになってしま
った。万事屋は万年財政難に悩まされている。文字通り、よろずの依頼を引き受け
ている。選り好みをしている場合ではないからだ。
(でもこのよろずってのがミソだよなあ)
 新八は大仰な溜息を吐いた。雇い主である坂田銀時の周囲は常に騒がしい。何
かと騒動が舞い込んでくるが、その殆どが金にならない。
 なけなしの収入で遣り繰りをしている。家計簿を眺めては赤文字の並ぶ帳面に嘆
息をもらすのが習慣となってしまった。
「晩御飯何にしようかな」
 そういえば、ホットケーキミックスが残っていた筈だ。幸い卵と牛乳はある。
(依頼が入るまで三食ホットケーキだ)
 文句は言わせない。不満なら仕事しろ。
 ふんと新八は息巻いて、ふいに空しさが過ぎった。
 家政婦みたいだ。
 銀時の下で働くようになり、日に日に所帯染みている。
 強くなるどころか、剣術の稽古に当てる時間が減っていた。炊事洗濯と家事に掛
ける時間の方が確実に多い。
(これじゃいかん!)
 帰宅したら銀時に剣の稽古をつけて貰おう。
 銀時の中に求めていた侍像を垣間見た気がした。彼のことを知りたい、薄給を承
知で転がり込んだ。
 程なくして傭兵部族の生き残りの少女、神楽も加わり万事屋は一層賑やかさを増
した。
 銀時と行動を共にするようになってからというもの、常に厄介事が舞い込むから
息つく暇がない。何だかんだ言いながら情に厚い男である。捨て置くことが出来な
いのだ。
「僕も…」
 そこまで考えて、頭を振った。
(早く帰って、稽古だ。稽古)
 新八は足早に歩き出した。


「銀さん、稽古つけて下さい」
 銀時はソファに寝そべって雑誌を読み耽っていた。
「今忙しいの。無理」
 拒否された。紙面から目を放そうともしない態度に多少ムッとするが、根気強く頼
んでみる。
「漫画読んでるだけでしょう。少しでいいですからお願いしますよ」
 不本意ながらも殊勝な態度に打って出る。ぺこりと頭を下げた。
「あのね、新八君。これはね大切な生命の営みなの。俺の生きがいなのよ。邪魔し
ないでくれる?」
 やっと視線を向けたかと思えば、面倒臭そうに吐き捨てた。
(もういい。この人に頼った僕が馬鹿だった)
「ああ、そうですか。もういいです」
 一人でも稽古は出来る。身を翻しドアの前まで歩く。ノブに手を掛けた時、「あ、新
八君ちょっと」と呼び止められた。
「気が変わりました?」
 パアと表情を綻ばせ振り返ると、銀時は「よいせ」と上半身を起こした。
「晩飯何?」
「は?」
 思わず、聞き返す。
 晩飯?
 晩飯は何だと言ったのか、この男は。
「…ホットケーキです」
 感情を押し殺し、ぼそりと告げた。
「え?ホットケーキ?それおやつでしょ?俺が言ってるのは晩飯。日本人は白米で
しょ」
「今月はちょっとピンチで」
「それを遣り繰りするのが新八君のお仕事でしょー。頼むよー、もう」
 のん気に不満を漏らす男に、プチっと何かが切れる音がした。すうっと息を吸い
込む。我慢の限界だ。
「僕は飯炊き婆じゃねえーーー!文句言うなら仕事取ってこい!ホットケーキが嫌
なら食うな!」
 一気に怒鳴った。わなわなと体も唇も震えている。両手を握り締めて、きっと銀時
を睨み付けた。呆気に取られている銀時を余所に、新八はドシドシ足を踏み鳴らし
ながら部屋を出る。
 万事屋を出て階段を一気に駆け下りると、ふと足を止めて上を見上げた。追って
こないのを確認すると、ゆっくり歩き始める。
 銀時は拒まない。その代わり追いもしない。
 あるがままを受け入れる。
 そんな男だ。
 勝手に万事屋に転がり込んだのは自分の方だ。銀時は拒まなかっただけであ
る。
「強くなりたい」
 どんな危機に面しても銀時は決して見捨てたりしない。
(僕は守られてばかりのガキだ)
 いつまでも姉の庇護下にいる訳にはいかない。彼の下でならばと思えたのに。
 今だって何ら変わらない。
 僕は庇護すべき人間だ。荷物。
 その言葉が新八を落ち込ませた。
 銀時は背負い続ける。どんどん、どんどん。
 自分の存在意義について考えてみる。
(僕はただの飯炊き婆だ)
 銀時は拒まなかった。それだけだ。
 必要としている訳じゃない。
 僕はあの人にとって不可欠な人間になりたい。
 一緒に背負えるだけの強さが欲しい。
(僕じゃなきゃ駄目だと言わしめたい)
「強くなりたいなあ」
 ネオンが点り始めた歓楽街をあてども歩いた。
 しばらく歩いて河原までやってくると、土手を駆け下りて適当な草っぱらに無造作
に寝ころんだ。すっかり日は落ちている。江戸の夜は明るく、星はあまり見えない。
(銀さんと神楽ちゃんは腹を空かせてるだろうなあ。神楽ちゃんには悪いことしちゃ
ったな)
 だが、のこのこ帰宅するにはバツが悪すぎる。ごろんと寝返りを打った。草が鼻
先をくすぐる。大きく息を吐くと、目前の草が僅かに揺らいだ。その様子に何となく
笑みがこぼれる。
 しばらくそうしている内に、波打っていた感情が落ちついてきた。すると自分が言
い過ぎた気がしてならなくなってくる。
 謝ろう。
 薄給とは言え、一応お給金を頂いている身だ。何て言い草をしてしまったんだろ
う。
 のそのそと立ち上がって服についた草をざっと払うと、万事屋に戻ることにした。
河原を歩き出そうとすると、土手の上に人影が見えた。
 急いで駆け上がると、銀時が立っていた。手にはなぜか皿を持っていて、得体の
知れぬ物体が乗っていた。
「ぎ…」
「飯炊き婆なんて思ったことないから」
 銀さん、と口を開こうとしたが、銀時によって遮られてしまった。その代わり、ずい
っと皿を差し出される。
「?何ですか?コレ」
「ホットケーキですよ、新八君。とにかく悪かった」
 得体の知れぬ物体はホットケーキだった。表面が真っ黒に焦げていて、形も不恰
好だ。銀時がこれを作る姿を想像すると、思わず吹き出してしまった。銀時は不本
意そうに口を歪めたが何も言わなかった。
「銀さん、僕は強くなりたいんです」
 一頻り笑うと、ぼそりと吐いた。精一杯の言葉だった。
「知ってる」
 銀時は何でもないように答えた。
「ならいいです」
 新八は焦げたホットケーキを千切り、口に放り込んだ。炭の味がする。もそもそと
咀嚼して、喉につっかえながらも何とか飲み込んだ。
「苦いです」
 感想を述べると、銀時も欠片を食べた。「食えないことはないでしょ」ともごもご口
を動かす。お互い無言でぱさついたホットケーキを口に運んだ。
 すっかり食べ終わると、
「なあ、新八よ」
「何ですか?」
「――や、なんでもねえ」
 銀時は何か言いかけたが、もどかしげにワシャワシャと頭を掻いてその言葉を飲
み込んだ。
「帰るか」
「はい」
 ゆっくり歩き出した銀時の隣を、新八もまた歩き出した。



20060711



























































































































































































































































































































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