ふれてみらいを





 手当て手当てと呟きながら居間に足を運べば、新八の姿はなかった。
 万事屋の住人は何かと怪我が多い。血気盛んなお年頃なのだ。そのため救急箱
は常時居間の机に出しっ放しになっている。
 救急箱はたった今も机の上に行儀よろしく鎮座している。その時を今か今かと待
ち構えている。なのに肝心の怪我人がいない。
 ついさっき新八が階段から転げ落ちた。
 今日の夕飯を死守する代わりに自らが負傷した。名誉の負傷だ。足を引き摺って
歩く姿から捻挫だろうと判断する。
 その時、台所の方からガサガサと物音がする。
 入口まで行き、銀時は顔を顰めた。
 扉を開け放った冷蔵庫の前で新八がしゃがみ込んでいた。中に顔を突っ込んで
いる。
「おいおい、新八君。何やってんの?」
「銀さん?」
 新八が冷蔵庫からひょいと顔を出した。
「え?何って買い物した食料を冷蔵庫に詰めてるんですけど」
 その目はきょとんとしている。銀時は台所の入り口に突っ立ったまま、呆れ顔で溜
息を吐いた。
「銀さんだってそれくらい見りゃ分かりますよ。違うでしょ。志村君はあんよ怪我して
るんじゃないのかな?手当てが先でしょ?」
 銀時は新八のもとまで行き、自分もまたしゃがみ込んだ。そして新八の袴の裾を
捲り上げる。
「な、何するんですか?!」
 ぎょっとする新八を無視し、露になったその足首を見る。やはり赤紫色に腫れあ
がっていた。患部をそっと掴む。熱を持っていた。じんじんと熱い体温が掌に伝わっ
てくる。銀時は掴んでいた指先にちょっとだけ力を込めてみた。その途端、銀八が
「ぎゃっ」と呻き声を上げる。
「痛いじゃないですか!?」
「痛いくせに放っておくお前が悪い」
 恨みがましい目で睨む新八にふっと笑いがこみ上げる。涙目で凄まれてもちっと
も威力がない。
「ほら、立てよ」
 立ち上がると、新八に手を差し出す。新八はしばらくその手を眺めていたが、や
がて冷蔵庫の扉を支えにして立ち上がった。
「自分で立てます」
「へいへい。そうかい。じゃあそのまま風呂場いくぞ」
「風呂場ですか?」
 新八が首を傾げる。
「冷やした方がいいんじゃねえかあ?」
「ああ、そうか。そうですね」
 納得した新八は右足を庇うようにひょこひょこと歩き出す。銀時もその後に続く。
 風呂場までやってくると、新八を風呂椅子に座らせた。袴の裾を膝まで捲り上げ
るように指示し、銀時は水道の蛇口を捻る。
 ノズルをシャワーの方へ回すと、新八の足首に勢いよく冷水をかけた。
「…何かあんまり冷たいの感じません」
 大人しくされるがままになっていた新八が口を開く。
「そりゃそうだろ。熱もってるからな。ここ」
 銀時はそう言いながら赤く腫れる患部を指で突っついた。
「痛っ!止めて下さいよ」
 新八は体を強張らせて抗議する。
「はは。すまんすまん」
「ていうか銀さんの着物の袖口濡れてますよ」
「あら。ほんと」
 見ると袖口が濡れて色が変わっている。
 新八は身を乗り出し、銀時の着物の袖を捲くった。
「すまんね」
「銀さんは雑なんですよ」
 腰に手を当てて、新八は大袈裟な溜息を吐く。その仕草は妙に婆くさい。説教臭
い母親みたいだ。
「それが男のワイルドさってもんよ」
「……」
 新八は生温かい視線を送る。
「あ、今馬鹿にした目で銀さんのこと見ただろう」
「そんなこと、ありますよ」
「そんなこと言う?」
 にっこりと笑う新八に負けじと微笑み返しながら、その足首をきゅっと掴んだ。途
端に新八は声にならない声を発し、悶絶した。
「乱暴ものぉ」
 眉毛を吊り上げて銀時はきっと睨まれる。しかしやはり涙目だ。恨み言も弱弱し
い。
「あのね、俺ほどやさしい男はいないよ?」
「どこが?!」
「大体だね、男にやさしくする必要なんて無い。しかし可愛い娘さんにはやさしくしに
ゃならんよ。新八君。守ってやらにゃーならん」
「差別だ!」
「区別と言い給え。特に自分の女にはすこぶるやさしいのがこの俺よ?マイスイート
ダーリンよ?」
「――気持ち悪っ」
 段々熱弁を振るい出した銀時を、新八は一言であっさり切り捨てた。そしてしばら
く沈黙が流れる。
「――…しく」
「え?」
「やさしくして下さい、たまには僕にも」
 沈黙の後、新八は早口で呟いた。聞こえるか聞こえないかの微妙な声。
 シャワーの水がジャージャーと新八の足首を無遠慮に叩く。
「…なんだって?」
 銀時は聞こえなかった振りをして、もう一度聞き返した。自分の声がひどく乾いて
いるのが分かる。突然、空間の狭さを感じた。息苦しい。
 そうだ。
 これは新八の緊張がこっちまで伝わっているのだ。
「何でもないです」
 新八はそっぽを向く。銀時はその横顔を見つめる。新八は少し目を伏せてくしゃり
と自分の髪の毛を掻きむしった。睫毛を小刻みに震わせながら。
 眼鏡のレンズにも細かな飛沫が飛んでいて、ともすれば滑稽な姿だ。
 けれど銀時は目を逸らすことも出来ず、ただ僅かに生唾を飲んだ。
 おそろしい子。
 飲み込む音が新八にも聞こえてしまいそうで怖い。
(この子は一体全体どこでこういうワザを覚えてくるんだろうね)
「銀さん」
「ん?」
「足、もう十分冷やしました」
「あ、ああ」
 新八は少しだけぎこちない笑顔を作る。
(やさしく、やさしくねえ)
 銀時はシャワーを止めた。脱衣所の棚からバスタオルを取り出すと、風呂場から
出てきた新八の前にしゃがんだ。片足を立膝にして、新八を見る。
「あし」
「はい?」
「足上げて。んでここ乗せて」
 太ももをぽんぽんと叩いて合図した。
「え?ちょ、ちょっとそんないいです。自分でできます」
「はやく」
 それ以上有無を言わせず、新八を目で促した。新八はうっと言葉に詰まり、戸惑
いながらもそろそろと右足を持ち上げた。そしてそっと銀時の太ももに置いた。
 銀時はそれをバスタオルで包み、丁寧に水気を拭き取る。
「あ、あの…一つ聞いてもいいですか?」
 新八が困惑した表情でおずおずと口を開いた。
「どうぞ?」
「彼女にはいつもこんなことを?」
 銀時は鷹揚な仕草で上を見上げる。新八と目が合う。
「わすれた」
「何それ。馬鹿」
 ニッと笑うと納得できないとばかりの顔をした新八にポカリと殴られる。新八は足
を床に下ろす。
「馬鹿でけっこう。新八君はね、ゆっくり大人になりなさいよ」
「何ですか、それ」
「じゃないとおっさん、心の準備が間に合わねーんですわ」
「はあ」
 新八は怪訝な表情を浮かべ、首を傾げた。
(分からなくていい。そんなこと分かんないで)
 おっさんになると行動力が鈍る。
 まず失うことを考える。ひとつ深呼吸をして何かを得る前に諦める。それが最も有
効な自分の盾であると知っている。
 踏み込むことは並々ならぬ決意とか体力とか。色んなものを必要とする。
「あ、そうだ」
 新八が不意にしまったという表情をした。
「何?」
「たまご」
「はあ?」
「たまご買うの忘れました!」
 銀時は一瞬呆気にとられ、そしてくっくと笑いが込み上げてきた。肩を震わせて笑
う。
「お前がアホでよかったよ」
「馬鹿よりマシです」
 新八が憮然と言い放す。
「そうかもなあ。とりあえず冷やした後はシップだ。たまごは俺が買ってきてやるよ」
「へえ。やさしいですね!」
「だーかーらー、銀さんはやさしい男でしょ?」
「じゃあ晩御飯もついでにお願いします」
「お、望むところだ。コノヤロー」
「だめだめだめ。やっぱいいです。晩飯は僕が作ります」
 得意満々で胸をドンと叩くと、新八はハッとした。そして慌てて首を何度も横に振
る。








20060919

















































































































































































































































































































































































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